奥の細道は海外でも詠まれていた

日本の教科書が大きく変わるかもしれない。

松尾芭蕉と言えば江戸時代を代表する俳諧師であり、今日では老若男女誰もが知っている人物です。

しかし、松尾芭蕉が実は海外でも俳句を詠んでいた事実はあまり知られていません。

 

 

芭蕉奥の細道を編纂したのは元禄時代の事。

当時鎖国下の日本にとって、国外へ出る日本人がいたと分かれば、それは幕府の名誉を傷付け、将軍の顔に泥を塗る行為に等しかった為、芭蕉がその句を奥の細道に載せることは当然なく、そのため今日までこの事実は極一部の学者しか知り得ない事件でした。

初めに、そんな芭蕉が異国、フィリピンで詠んだ句を紹介しましょう。

 

 

「南国の  淡水魚 引くほどデカい」

一見するとどうにも季語が入ってなく、更に字余り、字足らずが見られる等、芭蕉らしからぬ俳句に見える為、当時は「イタズラ」あるいは「無名の俳諧師の作品」としか捉えられていませんでした。

この認識が改まったのは、フィリピンは首都マニラから南に130km離れた場所に位置するルソン島の西海岸(現在ではパブが立ち並び、多くの観光客で賑わっている)で芭蕉と全く同じ筆跡の文書が次々見つかった昭和64年に遡ります。

 

 

ここから次第にこの句の研究・解釈が進み、現在では敢えて季語を使わず、真っ向から俳句そのものの形式を壊し、更にそれを異国で詠んだ姿勢から

「このまま発展を拒み鎖国を続けていたら、外国に侵略されるのは時間の問題だ。

封建体制をやめ世界に目を向けるべきだ。」

そういったメッセージをこの俳句に込めたのではないか。と、このような解釈が通例となっています。(過去には、“デカい淡水魚”は諸外国の脅威の暗喩であり、この句には非常にアイロニカルな意味が込められてるのでは、と考える学者も多くいましたが、現在はその説は芭蕉本人より否定されています。)

 

 

ですが、ここまでの流れでは芭蕉が反幕府側の思想を持ったならず者だと思う人が少なくないでしょう。

彼の名誉の為にこれだけは補足させて下さい。

芭蕉鎖国にこそ反対していたものの、幕府にはかなり忠実な人物だった事が2つの資料により明らかになっています。

 

1つ目は彼が編纂した日本古典の代表的存在、そう奥の細道にあります。

これは2012年、アメリカ合衆国エスバージニア大学の日本文学史の研究で判明した事なのですが、実は奥の細道の全ての句の最初の文字を順番に並べると、「とわはまあやたあなゆたわあまや(現代の言葉で、とくがわさまありがとうございます)」になる事が分かったのです。

 

2つ目は先程紹介した彼がフィリピンで詠んだ句にあります。

前ページに戻ってこの句をよく見てください。

目を凝らして確認してみると全ての句に漢字が使われていることが分かります。

これが何を指しているのかといいますと、これは古くは奈良時代万葉集から日本の俳句に非常に良く見られる形式であり、現存する明治以前の俳句の中で、実に4割がこの形を取ると取ると言われています。

更にこの形式を重んじるのは何も民衆だけではありません。

天皇就任の儀式である即位の礼で、新たな天皇が国民に向けて俳句を詠む即位の句では、この形式に沿った俳句を詠む事がなんと聖武天皇の頃から続いているのです。

この事からも、芭蕉が日本の伝統をとても重んじる人物であったことが分かるかと思います。

嘘です。